3月の後半、幼馴染みの哲ちゃんから小学校の同期会のお知らせのメッセージが届いた。
彼は小中と同級生で家も比較的近かったので、小学生の時は毎日の様に遊んでいた。
僕が千葉の全寮制の高校に入学したのを機に、哲ちゃんはじめ、小中学校の友人達との付き合いはバタッと無くなった。
正確に言うと無くしたかったのだ。
小学生の時は割と成績が良く、私立中学を受験するかしないか、そんな話も出ていたくらいだ。
しかし、多くの友人が公立の中学に進学すると聞いて、受験をやめ右に倣えで入学したが、英語の先生と相性が悪く、成績は急降下。
その頃は自分の価値が勉強がそこそこできる子と言う事でしか、自己評価出来なかった為に、
陰々滅々な性格に成り下がり。
ビジュアルも小学生時代の醤油系の顔から、ニキビだらけの赤ら顔になった事も手伝ってか、
数人の男友達以外とは口も聞かなくなった。
要するに承認欲求が満たされなかった訳だ。
自分の過去を知らない人達と新しい環境で、自分の承認欲求を満たしたい。
それだけで、高校は選んだ。
この選択は大間違いで、自分の黒歴史ナンバー1の3年間になる訳だが、
今回の話しとは関係無いので、続けよう。
全寮制の高校を卒業して、実家に戻り、浪人生活が始まった。
最寄りの目黒駅に向かう途中、小中の同級生 南雲にバッタリ出会い、
彼の誘いで、地元の友人数人とつるむ事になる。
権之助坂の途中の二階にあるレーヌと言う喫茶店が溜まり場。
そこに現れたのが哲ちゃんだ。
南雲とたまたま駅前のパチンコ屋で出くわして、連れて来られた様だ。
哲ちゃんは都立小山台高校から武蔵工大に進んだ、お勉強の出来る理系の子で、
小学生の頃からピアノを習っていた。
最近は趣味でKORGだかRolandだかのシンセをイジっていると言う。
当時はテクノポップが大ブーム。
シンセと聞いただけで、こいつ使えると思ったものだ。
僕は高校でベースを始め、南雲もギターを弾いていた。
僕が一浪の末に、大学に潜り込んだのをきっかけにこの3人とドラムの上野を加え、
レタス360と言う4ピースのバンドを組んで活動を始める。
バンド名は僕が考えたが、意味は無い。
カタカナと数字を使った物が、なんかテクノっぽくてカッコいいんじゃないか?
そんな感じで、当時余り好きでは無かったレタスとフォルムがフィアットのチンクエチェントに似ていた国産車、SUBARU360をくっ付けた、今考えるとかなり恥ずかしいバンド名だ。
ドラムの上野はどこで出会ったのかうろ覚えだが、僕の大学の音楽仲間の友達の友達とかじゃ無かったか?と言うのが、南雲と哲ちゃんの推察だ。根拠は無い。
ようするに37年前の事なので、上野本人から直接聞かないとわからないだろう。
僕の知る限りではゲーセンのマシーンをメンテナンスする仕事をしていたはずだが、今は音信普通。
話はかなり蛇行したが、そんなバンド活動も数年で終わる。
僕と哲ちゃんと上野は他のバンドも掛け持ちして、コンテストやライブハウスなどに出演していて、そっちが中心になってしまい。
その後、大学の単位が危ない哲ちゃんも学業に専念。
僕も自分の腕の無さを実感して、プレイヤーを引退して、バンドのお世話係を経由して結局音楽をやめてしまう。
23歳頃には南雲とも哲ちゃんともまた会わなくなってしまう訳だ。
それから30数年、世の中はSNSブーム。
哲ちゃんがFacebookで僕を探し当て、昨年の8月の終わりに二子玉川で再会を果たすのだ。
彼の押し付けがましく無い世話焼き体質は変わらず、同窓会の幹事に名を連ねる事無く
さりげなくお手伝いをしていると言う。
同窓会の誘いのメッセージも、僕の体調に気を遣いながら、負担にならないように配慮してくれて
非常に好ましい。
正直、会いたく無なかったり、付き合いの無い人間も集まって来る「同窓会」ってイベントは好きでは無かったが、哲ちゃんからの誘いだし、幹事の中に数名仲の良かった名前もあったので出席を決めた。
どんより曇った連休後の日曜日の昼
会場である新橋の中華料理屋に向かった。